お前は誰だ?

葬式のムービーが許容できなかった話です

(※3/17追記しました)

 

 

あのムービーの脚本を書いた人間は葬式に出たこと無いんじゃないですか?

葬式に出たことがあるのにああいうものを生み出したっていうなら、それはもうおそろしくデリカシーに欠けているとしか思えない。

 

なんで逢坂壮五にピアノを弾かせたんですか。

 

いや、わかりますよ
作曲家として桜春樹の意思を継ぐだとかアイドリッシュセブンの作曲担当になるだとか決意がどうたらとかきっとそういう意図でしょう
そういうことを表現したかったのはよくわかりますよ

 

でもそういう「意図」をふまえたうえで言います。

そしてこんなことを前置きするのもバカバカしいですが、わたしの推しは唯一、逢坂壮五です。
これもふまえたうえで言います。

 

よそ様の葬式で何をやってる

 

 

実は、完成版を見る前に、別所監督があげていたコンテ状態のムービーを見ていて、そのときに逢坂壮五の姿が見えて……だからずっと見ないでいたっていうのが事実です。
「頼むからわたしの予想が的中しませんように」といった感じでした。
まあ結果、的中だったんですけど……

 

 

◯桜春樹が死んだから葬式をする
↑わかる

◯参列者のなかでも特に故人と縁の深かったナギとみなみがピアノを弾く
↑わかる

◯逢坂壮五が乱入してピアノを弾く
????????????

 

 

いや……しないでしょう。しないよ普通。
いくら故人の曲を歌っていたとはいえ、ナギやみなみに比べたら圧倒的に「他人」ですよ。

ナギやみなみが「喪主」だとしたら、逢坂壮五は「いち参列者」でしかないわけです。
大して縁もゆかりもないずーるくんと同列に並んで立たされてたんだから完全にその枠ですよ。
(あの子ら全員を、座ってるひともいるなかで、”比較的”縁故者の体で立たせてるのも気色悪かったけど)

主役が桜春樹、準主役がナギとみなみと言い換えてもいいかもしれない。
それまでの文脈からすれば、その3人以外の人間はすべて「その他大勢」でしょう。

 

ナギちゃんが感極まってピアノが弾けなくなりそうになって〜とか、ナギちゃんがそーちゃんに目くばせして〜みたいなシーンがあったらよかった。
でもそういうのが無かったので、わたしの常識にのっとって読み取ると、「いきなり乱入した非常識な人間」でしかない。本当に。

 

そしてわたしの大切なそーちゃんをそんな非常識な人間に仕立て上げられたっていうのが本当に嫌。

逢坂壮五ってそんな非常識な人間だったでしょうか?

わたしはそうは思ってないです。
だから許容できません。無理です。

 

論理的に冷静に話せる範囲の「許容できない要素」は以上。

 

***

 

以下はもっと感情的な意見。
感情だから理解されなくても仕方ないと思う。理解してほしいとも言わない。
でも気持ちはわかってほしい。

 

この脚本書いたやつは絶対絶対絶対、葬式出たことない
少なくとも成人してからは出たことない人間だと思う
出たことあってこれが書き出せるんなら本当にデリカシーがない わたしは絶対に関わりあいたくない

 

わたしは今までの人生ですでに4回、火葬場まで行っています
祖母、祖父、大叔父、そして祖父です
幸いなことに親兄弟、友人を送る立場になったことはまだありません

 

いちばん近いのは数年前の祖父の会です
母たち(祖父の子にあたる)はやはり悲しんでいました
わたしもおじいちゃんが亡くなったので悲しいです

でもだからといって、母たちに「わかるよ」と言って慰めたり、「わたしも悲しい」などと感情を伝えたりなんてことは一切しませんでした

だって、できっこなくないですか

わたしよりはるかに故人との付き合いが長くて、縁が深くて、思い入れがあるひとが、故人との別離を悲しんでいる。
絶対にわたしの悲しみより深い悲しみに沈んでいるとわかりきっているのに、わたしが何を言えますか

 

文字通り「かける言葉が見つからな」くなるんですよ

 

祖父の式からはすでに数年が経ちました
母はたまに祖父の話をします

祖父が亡くなったとき母はどんな気持ちだったのか、とても気になります
いずれわたしも同じような場面に出くわすだろうから聞いておきたい気持ちになります

でも絶対に訊けない
訊けないですよ

悲しかったに決まっているし、その悲しさを伝えられたところで、わたしがその悲しみの深さを知ることはできないんですから
そんなの聞いたところでただの野次馬です

 

わたしは、こういう経験や思想があるから、あのムービーは本当に理解できないし、わたしは、嫌悪感しか抱けません。

あのときピアノを弾いていたナギちゃんはきっと故人に想いを馳せていたんでしょう。
きっとすごくすごく大切な時間ですよ。
それなのに、そこにしたり顔で水を差す人間がいたんです。

お前のための式じゃないんだよ!!!!

 

ナギの気持ちは知りません。わたしはナギではないし、ナギや母と同じ立場になったことはないので。
でもあのときの壮五と似たような立場は経験があります。
わたしが「逢坂壮五」だったとしたら、絶対にあんなことはしません。

 

もしかしたら壮五もかつてあった自分とおじさんのことを思い出したからかもしれないけど。
でももしそうだとしても、それならばなおのこと、そういうことはしないでほしかった……。

いくら似たような経験があっても、いくら同じ立場でも、他者の気持ちや心情を「わかる」ことはできません。
できるのは「おしはかる」ことだけです。

 

わたしの推しはそういうところをわきまえて生きているものだと思ってた。
感情のギアが上がりやすくて、痛覚がちょっと鈍いけど、いわゆる「常識」や「教養」というものはとてもよく理解している子だと思っていた。

環とは、お互いの歩んできた薄闇を、おしはかりあい、慮りあいながら、交流をしてきたんだと思ってたから

「おしはかる」ことができる人間が、あんなデリカシーのない行動に出ますかね?

誰が逢坂壮五をあんなふうにしたんですか?

 

「公式と解釈違い」ってこういうことなんですかね。
「解釈違い」って言うとなんかわたしの解釈が甘かったみたいで腹立つな。

そもそもあんな非常識なことするとは思ってないし……これは解釈違いでは……ないでしょ……
「公式と倫理観が違う」だよね……こっちのほうがよっぽど悲惨だから頭抱えてるんだけどさ……

 

 

「死による別離」というのは、それ自体も、そのまわりにいるひとも、扱うにはものすごく気をつかうべきものだと思ってます

アイナナなんて、ただでさえリアリティ重視っぽいところあるんだからなおさら気をつかったほうがよかったと思うんですけど……
「死による別離」「一家離散」「虐待」、そういう要素も(あけすけにはせずとも)扱ってたから、桜春樹の死もそれなりに慎重にやるもんだと思ってました
しかし結果は変な葬式とイメージ映像という……
なんか……あれ気持ち悪かったんだよな……
あれは完全に「死」をコンテンツにしてないか?

 

それはそれとして、読者としては桜春樹に愛着がわいてるわけでもないので、ああいうイメージビデオを見させられてもちょっと……みたいなところがあるのもまたやるせない。
なんかもっとこう、上品にできなかったのだろうか。
「死」を扱うにしては、デリカシーに欠けるし、品がなさすぎる。

 

 

 

 

なかば怒りにまかせて書いてしまった

 

誰かにわかってほしいけど、難しいだろうなというのも重々承知しています

「妖万華鏡ぜんぜんおもしろくなかった!」とは違って、この手の話は個人の経験や感情や思想しか論拠にならないから、いくら論理的に説明しても「理解してもらう」ことはとてもとても難しい

 

実際にあの葬式を見てなんとも思わないひともいれば、逆に「いい葬式だ〜」って思うひともいるんでしょう
それは当たり前のことです

 

でもわたしはマジクソ本気で嫌だった
嫌すぎて「もうアイナナやめるべきでは?」と思った

 

なによりね……「推しが自分の倫理観と合わない行動をさせられている」のが本当にキツイです。

「見なかったことにする」「なかったものとして扱う」ことは可能だけど、事実は事実というのがもうきっっっつい
なんやかんや言っても「公式は絶対」の文脈で生きてるからさあ……

 

 

逆に、あの葬式に対する別のひとの解釈を聞いてみたい
めっちゃポジティブな意見を聞いたら「なるほどねー!納得したわ!」ってなってすごい元気になるかもしれない

 

ああでもここでこれだけ書いたらすこしすっきりした
いくらかマシになった

 

 

 

※以下、3/17 追記

 

まず、拍手からいただいたメッセージを引用させていただきます。

葬式に関してまったくの同意見です。
私はリアタイで視聴していたので、えすこさんの感想を読んで当時の怒りと絶望を追体験することになりました。
あの中に一筋でも救いを見つけるとしたら、非常にわかりづらくはありましたがナギがそーちゃんを見たことと椅子を半分あけていたことが、そーちゃんをあの場に引き出すことはナギの望みであったと当時多くの人が考察してたことです。
製作者の意図がどうあれ、逢坂壮五は自分の意思でそんなことする人間じゃないだろというのが多くの視聴者の認識だということに少し救われました。
それはキャラ像への理解と共に、葬式というものへの畏怖を共通して持っていることのあらわれでもあるんじゃないかと思いたいです。

 

勝手ながら一部そのまま引用させていただきました。
(問題あれば連絡ください)

 

「ギリセーフ!」といった気持ちになりました。ありがとうございます。
いやまあ「やらかしてる」のは事実なんでアウトなことに変わりはないんですけど……。

でも心がだいぶ楽になりました。
わたしのなかの推しが「根っからの愚か者」から「製作者の意図によって愚か者として描かれた者」にまで尊厳を回復できた気がします。

教えてくださって本当にありがとうございました。
おかげさまでわたしの悲しみや絶望といった感情はだいぶきれいになりました。

同じように「推しの人格を信じているひと」がいらっしゃることを知られてよかったです。安心した……。
ありがとうございます。本当に。共有してくださったことに感謝いたします。

 

 

しかし……

「壮五をあの場に出させたのがナギの意思」だとしたら、そのほうがよっぽど「葬式」や「死による別離」ってものを雑に扱っているように思えますね……わたしには……

 

ナギ推しのひとはどう思ったのか純粋に気になる。
あれだけ慕ってたひと、そのひとのためにあれだけ身を粉にしていたのに、そのひとの葬式で他者に何かをさせようだなんて、そんな余計なこと考えますかね……そんな余裕あるかしら……わたしだったら絶対無理だけどなあ……

 

 

昨日記事をあげてからもずっと考えていたんですけど、わたしにとってこの問題は、

 

  • 「故人を弔う」という葬式の主目的に対して
  • 「アイドリッシュセブンが次のステップを踏み出す」というサブテキストが
  • 「葬式」というひとつの儀式のなかで同列に、
  • あるいはそれ以上のプライオリティをもって表現されているのが

わたしにとっては非常に受け入れがたい。

……のだと思います。

 

うん、これよくまとめられてると思う!!
自分で言っててだいぶしっくりきた。

 

いやね……結婚式とかだったらいいんじゃないですか、そういうことをやっても。
なんのかんの言われてもみんなハッピーだし。
(いやどうだろ?嫌かもしれない)

 

でも葬式でやるのはちょっと違うと思いませんか。葬式って本気で故人の最期の「儀式」ですからね。
そこんとこわかってないのかな……わかってないんだろうなあ〜……

 

式は式として一度終わらせて、ひと区切りつけたあとで、みんなで春樹を想って小さく演奏会をしましょう、みたいなかたちでやればよかったんじゃないの?ってふつうにそう思った

日本の葬式でも、火葬場で炉に入れたらひとつ区切りがついて、みんなでごはん食べるじゃん
炉から出したときはまあ悲しいけど、お骨になったのを見たらそれこそただしく「ひと区切り」になるわけじゃん
「おわったなあ」って、なるでしょう

 

別離には「さようなら」を言って、きちんと区切りをつけることが絶対に必要なんですよ。これについてはちゃんと本を読んだから自信もって言える。区切りをつけないと次に進めないの、ひとは。

特にこの4部はずーーーっと桜春樹の話をしていたんだから

 

だからね……あの子らに「別離の儀式」をきちんとさせなかったのは、わたしは、脚本としては完全に悪手だったと思いますね……

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